逸品仕上・石定課

堂野 緑 MIDORI DONO

2016年入社

前職のこと、転職のきっかけ

大学では4年間、ガラス工芸を専門的に学んでいました。ものづくりの根本に関わる仕事がしたいという思いから商品開発や企画といった職種に興味を持ち、卒業後は大阪にある繊維関連の企業に就職しました。情報収集をして新しいトレンドを生み出すという刺激的で充実した仕事ではありましたが、会議やマーケティングを通しての「ものづくり」と、実際に自分の手を動かしてものを生み出す「ものづくり」との違いに悩んでいました。
「企画・商品開発」の職種に応募して内定を頂いたので、仕事としては何も不満はないはずなのに、それでも自分の中に芽生えた「違和感」を抱えたまま働いていました。忙しい日々を過ごしてきましたが、ある日、工場で作業されていた職人さんの手縫いの仕事を見る機会があり、長らく勤められてきたであろうその職人さんの手仕事の技を目の当たりにしたときに、そこで自分が本当にやりたかった「ものづくり」を、はっきりと認識しました。入社からわずか6ヶ月でしたが、転職を決意しました。

物心ついたときからジュエリーといえばMIKIMOTOのイメージがありました。母親や祖母からの影響が大きかったと思います。ジュエリーには幼い頃から興味を持っていましたので、自然とミキモトの商品を目にする機会が多くありました。
ジュエリーのクラフトマンになりたいという漠然としたイメージを持ち始めてからは、書籍や雑誌、展示会を通してMIKIMOTOブランドの歴史や企業文化、商品そのものの美しさに、いつも心を惹かれてきました。ジュエリーは身に着ける人を美しくするだけでなく、夫から妻へ、母から子へ、そして子から孫へと受け継いでいくことができる、その想いを形として残すことのできる唯一無二のものだと思います。永遠に愛され続けるMIKIMOTOジュエリーの制作に、自分も携わりたいとの思いを抱くようになりました。

ミキモト装身具との出会いは、就職情報サイトでした。自らの手を動かす「ものづくり」というのは、自分の手で形を作っていく、自分が美しいと思う造詣やその感性をそのまま表現することのできる喜びのようなもの、と言ったらよいかもしれません。永遠に残るものに価値を感じていましたし、その頃にはすでにミキモト・ジュエリーのクラフトマンになることが夢であり目標になっていましたので、迷うことなく技術職の採用試験に臨みました。

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現在のお仕事は?

内定を頂いてからは、前職経験のある既卒ということで、私は2016年9月から入社することになりました。現在は、逸品仕上課に所属しています。
当社は工程ごとに細かく分業制を敷いていますので、一人のクラフトマンだけで初工程から完成までを担うことはありません。特に逸品と呼ばれる最高品質クラスになりますと、多くのクラフトマンの手を介しながらひとつの商品を完成させていくことになるのですが、各工程における役割を全うしながらも、それぞれのクラフトマンが持ち合わす最高水準の技術を惜しみなく注いでいくといった特徴があります。
逸品仕上課は、それらの複雑な逸品ジュエリー制作の最終工程を担っています。
バフ研磨では到底行き届かない裏側も独自の工具を使いながら細部まで磨き上げ、突発的な不具合や機能調整などの修正も含め、あらゆる事態に対処しなければなりません。つまり、店舗でお披露目できる最高級の状態にまで仕上げる役割を担っているのが逸品仕上課です。店頭の価格にして数千万円、ときには数億円にもなる逸品ジュエリーには、手を抜く個所など一切ありません。
私はまだまだ重要な部分に携われるだけの技術がないので、今は先輩方のサポート的な仕事となりますが、その中でも毎日驚くような細工技術や最高品質の宝石類に触れることができ、多くのことを学ぶ日々を過ごしています。

今後の抱負

幼いころからずっとその道のプロといわれる職人に憧れを抱いていました。私の場合、ジュエリーの加工技術や知識を何も持ち合わせていない状態での入社でしたので、まだまだ右も左もわからない状況ですが、それは毎日新しい事を吸収することができるということでもあります。一日一日を大切にしながら常に向上心を持ち続け、少しでも早く一人前と言われるようになりたいです。
これからは様々な工程の知識と技術を習得して、いずれはこの仕事は君に任せたい、この人でないとできないと皆から信頼されるような、技術力のあるクラフトマンになりたいと思っています。

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