「躍進を続ける世界最高レベルのジュエリー工場」へ
今から125年前の1893年(明治26年)、ミキモトの創業者である御木本幸吉は、アコヤ貝を使って世界で初めて養殖真珠を発明しました。当時、それまで不可能とされてきた「美しい真珠」を人の手によって生み出すことに初めて成功したのですが、御木本幸吉の本当の意味での功績は、養殖真珠の成功を養殖真珠産業の発展、すなわち“世界的な産業”にまで発展させたことにあります。
時代の先の先を見ていた御木本幸吉は、養殖真珠の発明からわずか6年後には、銀座に日本で初めての真珠専門店を開設し、その8年後の1907年(明治40年)には、私どもミキモト装身具の前身となる「御木本金細工工場」を現在の中央区に創設しています。こうして“お店”と“工場”が一体となることにより、その後の日本の養殖真珠業界を牽引していきました。私どもの事業の成長そのものが日本の宝飾市場の発展と大きく重なり、リーディングカンパニーとして世界における養殖真珠産業の未来をも切り拓いてきたと言えます。このようにミキモトとミキモト装身具は、文字通り“ミキモトブランドの両輪”として、100年以上に亘って宝飾産業の発展に貢献してまいりました。
当社は1961年(昭和36年)に御木本真珠店(現ミキモト)から分離独立しましたが、その後もミキモトの専属工場としての道を歩み続け、2017年(平成29年)には、「創立110周年」を迎えました。これまでの一世紀を超える歩みの中では、戦争や大震災、また、近年ではリーマンショックなど幾多の困難にも見舞われましたが、こうしてミキモト装身具が100年企業の仲間入りを果たすことが出来たのには、伝統に裏打ちされた技術・技能の深い蓄積以外にも、幾つかの理由があるかと思います。
まず、最初に挙げられるのが“環境に敏感である”ということです。お客様から変わりなく信頼され、愛され続けるためには、常に我々自身が変わっていかなければなりません。そして変わるためには、変化する時代を敏感に捉える力が必要です。現代のように加速度的にグローバル化する時代にも果敢に挑戦し、変えるべきものは恐れず大胆に変えていく。一方、変えてはいけないものは大切に、愚直なまでに継続していくことが何よりも求められます。
次に“強い結束力がある”ことが挙げられます。強い結束力があるということは、会社の中にある「目に見えない力」、すなわち、信頼関係で成り立つ“社員同士の深い繋がり”があるということです。いざという時、土壇場で一丸となって問題に取り組むといった集団の力、チームワークは、ミキモト装身具の大きな強みです。
そして、もう一つの理由として挙げられるのは“利益追求のみに走らない”ことです。企業にとって利益は大変重要ですが、利益追求のみに走ると、企業の寿命は短くなります。この会社には良いものを作ろうとする熱意があります。現場のモノづくりへの熱意や妥協を許さないその姿勢こそが部門間の連携や一体感を生み、品質向上や技術革新に繋がっていくのだと思います。
ミキモト装身具には、モノづくりの好きな人達が“活躍”できる大きなフィールドがあります。洗練されたオリジナリティ溢れるジュエリーの制作に“挑戦”し続けるリーディングカンパニーとして、誇りと自信、そして何事もやり抜くという強い意志を持ちながら、私たちはこれからも「世界に誇れる最高レベルのジュエリー工場」を目指していく所存です。
株式会社 ミキモト装身具
代表取締役社長
中嶋 秀利